これは効きました! 体験記

 そういうわけでいくつかの本を読んで実習して、積年の落ち込み癖をかなり克服できたという実感があるのですが、それはもちろん私が特別だからでもなんでもなく(実行の努力だけはしたが)、これらの本の著者の方々が、そのための有効な方法・理論を長年の学びと実践によって培い、噛み砕いて私たちに伝えてくれているおかげなわけで、考えてみればありがたいことだと、最近ひじょうに感じるようになりました。

 せっかく縁あって出会ったのだから、ぜひ体得・吸収しなければと思わされます。

 さて、いくつかある中でとりわけ私にとって決定的というか、きわめつきだと思われたのは、『生きる自身の心理学』(PHP新書)という、タイトルもそのまんまの本で、書店の棚で気軽に手にとって、買った後で読んでビックリという感じでした。

 新書ですから薄くて読みやすいのですが、そのなかに落ち込み克服・自信回復に必要十分な方法が、これ以上ないという具合に簡潔にまとめられ、エッセンスが詰め込まれているという印象の、見た目には似つかわしくないすごい本でした。

 晦渋な理論の偉そうな本とか、スタイルはかっこよさげだけどどうも浅薄、というような本にはいろいろ出会いましたが、こういう読みやすく実用に徹していながら奥行きが深いという本には始めて出会いました。詳しくは後に譲りますが、それができるのは著者が「何が落ち込ませている原因なのか」というその核心をしっかり掴んでおられるからだと思います。
 
 まだ出会ってそれほど経っておらず、紹介されているワークに全部手をつけて習得しているわけではないので本当はなんともいえないのですが、これは手応えアリ! という感じがすごくしていますので、自分でも実習をすすめながらご紹介できればと思います。

 いい本が見つけられてラッキー。しかし現在書店のPHP新書の棚にはこれは並んでいないようです。やる気あるのか、PHP?
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# by type1974 | 2005-08-18 12:36 | 心理学

しきり直し

 ここのところ、落ち込むことはあるのだけど、わりとすぐに思った通り回復できて、問題ではなくなってしまっている。そういう気持ちが持続しなくなっていて、逆に毎日わりと楽しい。
もちろんまだまだで、いろいろ課題はあるのだけれども。

 しかしこういうブログを立ち上げてみて、落ち込みということが実感的にあまりわからなくなってきている、というのはちょっと困りものだ。

 これほど変わるというのは、当時からすると驚きであるはずなんだけど、日常何となくやっていけていると、これがあたりまえじゃん、みたいな気持ちになってしまう。
いかんいかん! 当時のことを思い出せ。それが君の大きな原動力のはずだ。

 あのころを思い返すと、なぜか夜の場面になってしまう。ようやっと学校と家を往復している感じだったが、人間関係は家族以外にほぼないし、授業はじつに砂をかむような感じがしたし、辛いというのともちょっと違って、何か現実感が希薄だった。オウム事件で世の中が騒いでいるのが妙に印象的だった。

 あと大学ってみんな楽しそうにサークルとかいろいろやってるから(後で聞いてみると、多くはそんなに楽んでいないことがわかってちょっと驚きだった)、そういう中に一人で居るというのはなかなかきびしいものがあった。こんな自分はダメなのだ、将来やっていけない、なんてぐるぐる考えていたような気がする。時間はいくらでもあったはずなのに、ほとんど具体的なことが思い出せない。

 だから学生の頃、何より知りたかったのは、どう自分の心を扱ったらいいのかということ。 そしてその方法がしっかりあることが、最近になってようやくわかったのがとてもうれしい。
 いま学生の頃の自分がいたら、そんなぐじゅぐじゅ落ち込んでないで、こういう方法があるんだからしっかりせい! っていってやりたい。いや、それじゃ落ち込んでいた自分は聞かなかっただろうか。

 専門の科目に興味がわかず、関係のない臨床心理の授業なんかによく出ていたけれども、満員御礼だったのがすこし驚きだった。心理学でも、他の社会心理なんかはガラガラだったのに。やっぱり同じような動機を抱えた人が多かったのだろうか。
 しかし学問的な内容は、自分の落ち込みに理論的な裏付けをあてはめるだけのようで、実際の改善にはまったく役に立たなかった。問題に説明が与えられて、それで安心するというところはあったけれども。

 そういうわけで落ち込み改善のためいろいろな本を読んだが、逆に落ち込んでしまうような情報が多かった。

 心理学の本でいえばつぎのようなもの。あなたの性格の問題は幼少期のトラウマにある、両親のまちがった育て方にある、生まれつきの遺伝のせいだ、環境の刺激から来るストレス反応だ、脳内物質の分泌の異常だ、いや、そもそも人間は無意識の深いところにどうしようもない暗いものを抱えているんだ、と。ようするに「あなたの性格はどうにもなりません」「変えるのは非常に困難だ(ということは事実上ムリ)」というようなのが、たぶん今でも多いのではないか? まるで、人間は心理的に健康なのがむしろおかしい、みたいな気になってくるというものだ。

 またちょっと軽い思想的な本でいうと、「落ち込んでいるまま、マイナスをかかえたままでいいんだ。それが人間の真実だ。みんなそれぞれ違っていいんだ、それが個性だ」というようなもの。落ち込みが個性? 本気で言っているのか? そう書いているあなたは本当に落ち込んだことがあるのか。
 性格は変わりっこない、あなたは自分の心をどうすることもできない、流されるまま、ただ終わりなき日常をまったりと生きろ、なんて言っていたのは誰だったか。
 いまこうして考えてみると、そういう言説が、語っている人の狭い専門分野の知識と、個人的なニヒルな人間観から出た、たんなる「結局こういうことにすぎないんだ」という読み込みであることがわかる。
 だいたいそうした思想的な「読み込み」は、心理学的な理論も方法も踏まえていない。人の内面に決定的に疎い、ということだと思う。

 大切なことは、卒業後に数冊の本から学んだ。人間の心はいろいろ複雑だけれども、われわれが自分の心を扱うということにおいては、つまり心の取説、マニュアルとしての方法は、ひじょうにシンプルといっていいらしい。

 たくさん読んでどれが正しいんだかわからない、というふうになるよりは、この一冊、と決めて腰を据えた方がよいようで、今もトレーニングを実行中。そのことをお伝えできればと思う。
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# by type1974 | 2005-08-13 20:41

あ、ぜんぜん違うこと書いちゃった。

久々に映画を見てきた。「亡国のイージス」。いや~、映画ってホントにいいですね、という古いのは置いておいて、ちょっといろいろ感じるところのある映画でした。
まずミリタリー系の好きな人にはたまらない映像の数々! 国家機密のイージス艦の内部が見れるし(でもあれは全部セットなのだとか)、ミサイル発射の緊張感もとってもイイ。艦内生活の細部もリアルで、気合いの入った映画でした!
ただストーリーとか人物描写には、どうも、というかひじょうにすっきりしないものが。やっぱり映画っていうのはテーマとメッセージを語るものだと思うんです。
なにより「日本とは何か」「国を護るとはどういうことか」という問題意識がひじょうに鋭く描かれていながら、それに対する作り手なりの思い・メッセージというのは、ほぼ何も語られていなかった。
だから決起した海自の幹部(士官、とは言わないのですね)の心情がほとんど伝わってこない。なぜ立ち上がったのか、「この国は一回滅びてやり直さなきゃならないんだ」くらいの、ニヒルな厭世観でしかなかったようです。
彼ら幹部は、最新兵器に囲まれていながら、手が震えて拳銃一つ撃てなかったりする。朝鮮民族系の某国(って、二つしかないじゃん)のテロリストの口車に乗って、自国の僚艦を撃沈してしまう。
そうして、寺尾聰演ずる中心人物の副長は、信念と憂国の志がある風のカッコイイところを見せながら、途中で人情にほだされてコロッと「反省するいい人」になってしまう。いったい前半の気合いはどこへ行ってしまったのか? だから急に物語全体の緊張感とリアリティが弛緩してしまう。そういう背骨のないリーダーの役を、風采の上がらない彼はよく表現していたと言うべきだろうか。
いろんな場面でそうなのだけれども、そういう「この国とは何か」というテーマが、結局「いろいろあるけどやっぱり家族が大切なんだよ」「難しいことはいいからとにかく生きろ」的な家族-個人レベルの感情のお話しにすり替わってしまっている。それはヒューマンで涙は誘うけれども、話の焦点がちょっと違うでしょ、という感じにぼかされてしまっている印象。
では、その中心テーマをどう語るべきだったのだろう。うーん、それは難しいぞ。それにいろいろいってみたけど、今の日本で商業ベースに乗せて、かつそのことも語る映画なんて、無理な話だ。しかし娯楽スペクタクルとしても、話の必然性がどんどん軽く「うそくさく」なってしまっているのはいかんともしがたい。
エンディングクレジットを見るとどうも防衛庁・自衛隊の全面協力らしい。話題とPRになりゃなんでもいいのか? それとも皮肉な自己否定をしているつもりなのか?
ようするに「この国が好きなんだよ」って思いがその回答だと思うんですが、それを語るのってむずかしいんですね。この国では、いろんな意味で。
なんか見ていて、国民意識的に、落ち込んできちゃいました。
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# by type1974 | 2005-08-12 03:11 | うつ

まだまだ

きょうは朝から朝まで詰めて残業で昼過ぎまで仕事をしてきたが、さて、あしたは朝から翌日の夕方までだ。エライ職場に異動になったものだ。
しかも仮眠はよくて三時間というところだから、明けて家に戻っても爆睡してしまう。

かなりきついぞ。時間がない。やりたいこと、やらねばならないことがたくさんあるというのに、まったく時間が足りない。
こんなことを書いているヒマもないのではないか? いや、まあいいじゃないか、ちょっとはガス抜きも必要さ。

君の気持ちはわかるぞ。たしかにけっこうキツイ状況だ。
しかし考えみよう。キツイ、とひじょうに一般化しているけれども、いったい何がキツイのだろう。

時間だ。それがキツイのは客観的に事実に近い。

しかしまったくゼロなのだろうか? いや、こうして書いていることからしても、ちょっとはある。しかも工夫して作ればまだできる甘さがあるんじゃないか。あるな、うん、あるある。

しかも時間があるからといって、君はそれをきわめて有効に利用することができているというのか。これまでの経験からいっても、時間があるとかえって甘えてどうでもよく過ごしてしまうんじゃないか。そうやってどれだけの時間をむだにしてきたんだろうか。

それに、やりたいこと、やらねばならないことというが、時間がないというか足りないからといって、できなくなってしまうようなことなのだろうか。それにはけっこうウソ・ごまかし・言い訳が入っているんじゃないか。

そうではなく、きつければきついほど、かえって思いは凝縮して強くなり、行動においても切実さがでてくるということがあるのではないか。というか、それが本物じゃないだろうか。

大きく見て、自分は死に確実に近づいている。どうしたって言いつくろうことはできない事実だ。死をどうとらえるにしても、それがこの自分の死であることは確実のようだ。

三十ということは、実質的にはおおまかに半分すぎてしまったという計算だ。しかもこれからは老いに至る半分だ。
つまり常識的にいえば人生の限界効用はこれから逓減の一方だ。
それは人間のいのちというものをひじょうに一面的に捉えた、内面的な深みを欠いた見方だけれども、それでも人生の半分の真実をあらわしているような気がする。

だからこれからはどうでもいい時間を過ごしているわけにはいかない。
そう思うのなら、中・長期的に、より生きられるように、自分を高めて、世に働きかけていけるようになるのが本当だろう。
それができないのならなおさら、文句をいっているいわれはないぞ。

いずれにしても稼がなきゃならないわけだ。じゃあぶつぶついっていないでがんばろう。
キツイのは時間だけで、あとは君もいったように職場は牧場状態だ。

注意すべきは緊急事態だけだ。おれに対応できるだろうか。
いやいや、できる。君ならできる。これまでだって、できないと思っていたことが、ある時点で意外にかんたんにできたということがたくさんあったではないか。

それに、「できる」と思うことに根拠が必要だろうか。思うだけなら自由自在、というのは事実じゃないだろうか。そう思い切れていないだけで。だいじょうぶ、できる、楽勝さ。

いずれにしても、こうやっていろんな縁で健康に生かされているというのは、考えてみればありがたいことだ。
多少のことで不満を言っているのは、無意味だし恥ずかしいことだ。
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# by type1974 | 2005-08-01 00:48

ああ時間は過ぎてゆく

…うう、またやってしまった。

この前に「心はけっこう思いどおりになるぜ!」なんていい感じで書いてしまいましたが。

書いたとおり心は習慣の動物。
しかも自分のはかなり怠惰な真夏の猫のような奴らしく、ちょっと教えたくらいでは「お手」すらできないらしい。いや、そもそも猫にはムリなのか。

せっかくの休日であれもやろうこれもやろうと思っていたにもかかわらず、「明日は休日だ」と思って、ついついどうでもいい本を読んだりごろごろしたり、で、起きたら午後の三時。

老人ばかりの午後の陽の入る銭湯に行って、「おれはこれまで、こうやっていったいどれだけの時間を無駄にしてきたのだろう」と非生産的な自問自答をする。どうでもいいがお湯が熱すぎるぞ。

通いごとをしており、電車で新宿へ。山手線内で先に書いたような「思考の修正」を行う。
「たしかにバカをやっちまったが、しかしお前は24時間・365日バカばっかりやっているというのか?」「そうやって自己非難してるといったい何かいいことがあるというのか?」

小田急に乗る頃にようやく気分は回復、「ま、いいか」ってかんじで。
で、きょうもいい学びをすることができました。貴重なご縁に感謝。

ま、結果オーライだからいいのかな。さ、いい夢でも見ますか。
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# by type1974 | 2005-07-30 00:55 | 落ち込み

独り言もあなどれぬ

やっとで家に帰れた!

自分は某公営バスの営業所に勤めているのですが、今回の勤務は32時間詰めでした。ううっ、ありえねえ。

その間、バスの事故あり、苦情に突進してきたお客さんとの長くステキな対話あり、まだ配属されて日も浅く、いやー、つらかった。やってかれるかなあ。

男ばっかりで、言葉遣いの荒いアクの強いおじさんは多いし、まったく優しさのない職場だぜ。しかもほとんど仕事をしない先輩がいるぞ。経営危機だというのにどういうことだ!?

なによりキツイのは私的な時間が削られてしまうこと。こうやって歳だけとるのはやだよ~


・・・おおっと、お聞き苦しい愚痴を、ごめんなさい!

適当に思ったことを書こうと思ったら、落ち込みを乗り越えるための日記が、「かわいそうなわたしの自己憐憫日記」になってしまうところだった!

「心は習慣の動物」という言葉を何かの本で読みましたが、しかり、習慣というのは恐ろしいものだ。

しかも書いているうちに、なんだかそのとおりに、よけいつらく惨めな気持ちになってきてしまいました。


ここが気の引き締めどころだ。
しかし、ほんとうにそんなにひどい話なのだろうか? 考え直してみよう。


長時間勤務、そんなにキツイか? いやいや、やってみると大したことないぞ。それにしっかり時間外手当が出ているではないか。

そんなひどい仕事か? そうでもないんじゃないか。民間の成果主義むきだしの職場からすれば、ある意味牧場のような感じなのじゃないだろうか。
まして、かのアウシュビッツでの強制労働なんかに比べれば、まったくの天国にちがいないぞ。

しかも学生の頃、「こんな自分が社会に出て仕事なんかやってくのはムリだ」なんて思ってたのからすると、まさに望外の幸せってやつじゃないか。

大切な私的な時間、なって言っとるが、その大切な休みの日に君は何をやっているか。午後まで寝て、ほとんどどうでもいい人に言えないような趣味にだらだらと時間を費やして、寝るとき「あ、きょう一日誰とも話してないや」なんてガク然とするのがオチじゃないか。

定時に起きて、健康的に食べて、給料もらいながら社会参加の体験学習ができるっていうのは、それにくらべればずいぶんマシじゃないか!


うーむ、同じことがらでも、考え方というか、言葉の表現のしかたしだいで、ずいぶんというかまるで違ってとらえられるものだな。

そして、そうやって実際に思ってみると、なんだか自己憐憫なんかしているのは恥ずかしいと思えてきた。しっかりやろうという気になってきました。


こうやって、日々落ち込むような思考に陥っていることに気づいたら、「ほんとうにそうなのか? もっとマシな捉え方があるのではないか?」と自問自答し、修正するようにしています。

そういう落ち込むような思考は自動化し、半ば無意識的にやっているので、当初は自分がそういう思考をしていること自体になかなか気づきにくかったりしていましたが、慣れてくると敵というか目標もはっきりしてきて、最近ではなかなか撃墜率が向上しているのを感じます。


こういうのは、単なる言葉のあや、ないしありがちなポジティブ・シンキング的なもので、控えめに見ても自分に対する慰め、悪くいえばお手軽なごまかしではないか、現実はそんなに甘くないよ、という反論がありそうなところです。

それは半面事実をとらえているようだし、自分もこれまでそのように思って、いろんなハウ・ツー的な心理学の本でこういうことを読んでも、眉に唾し斜めに構えて「そんなうまいハナシがあるわきゃねえ」とか思って(じゃあ何で読んでいたのか?)実行していませんでした。

しかしながら、ある本を読んだのをきっかけに、そういう自分に語りかける言葉の入れ替え、つまりセルフトークの改善をやってみようと思い立ちまして、実行してみると、事実どうも顕著に効くようで、我ながらびっくりです。

どっかにあるいい話、ではなくて、このわが心で実際にそのようにはっきりと思ってみる、しかも「意味ないんじゃないか」などとぶつぶついわずに、「これは効果のある方法なのだ」ととりあえず思ってみる。そしてそれを習慣化する、と。

自分を元気にするセルフトーク、効きますよ。お読みの方、実験してみてはいかがでしょうか。なかなかおもしろいです。


そういうわけで、意外にも心っていうのはけっこう思ったとおりになるんだな、と思うこのごろです。問題はその「思う」内容のほうだったのだ。

最近では「おれは宇宙だぜ」なんてセルフトークをしています。実際に独り言もしています。ぜったいに人に聞かれちゃならねえ。

そんなふうに考え、実際その効果を体験してみると、独り言っていうのはバカにはできません。っていうかかなり決定的なのではないか。

そんな感じでひきつづき独り言をやっていこう。おつき合いいただければ幸いです。
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# by type1974 | 2005-07-28 20:39 | 落ち込み

さあ書くぞ! 何を!?

はじめてみました、ブログ。
さて、何を書きましょう??


それにしても素晴らしい道具! 自由に、好きに書き込んだら、それを人がネット的に見てくれるという、ちょっと前には考えられない世界。
ま、問題は見てもらえるかどうか、ですが。

もちろん書く動機は人に見てもらいたいから。だけど書きたい内容はけっこう自分のことばっかりだったりで、イキナリ自己矛盾。
だけどだいたいみんなそんな感じだからいいのかな。

まずは独り言でいこうか。
独り言って、けっこう人に聞いてもらいたくてやったり、しません?
そして、それがメッセージになったらいいのですが!


とはいえ、うーむ、何を書いたらいいのかな。
何でも書いていいよ、何でも自由だよ、っていわれましても。

そうそう、何かで「自由、自由、ひどい言葉ね」っていう歌詞がありましたが、そんな感じ。

ちょっとずれますが、若い人、よくいわれませんでしたか?
「人に迷惑かけなきゃ、なんでもきみの好きに、自由にしたらいいんだよ」って、大人に。
で、「いや、それがわからないんだって」っていったら、「それは自分で考えなさい」なんてね。
で、脱力、と。
いや、もちろんそう言う大人たちは多くは善意だったんだろうけれども。

そんな感じで、与えられた自由のあまりの自由さ・枠の無さに、独りよがりの迷走とか、何を書いてるのかわからないなどと空中分解におちいらぬよう、こころせねば。


ちょっと私ごと。
いま三十歳で、かなりずーっと、落ち込んで元気がでなくてつまらない感じでやってきまして、いまでもまだまだだなという感じです。
ちょっと辛い時期もありました。
かつては自信がないことだけには自信がありました。

で、そういう状態ですと、なかなか人とつながれない。本当は心から人とつながりたいんだけれども、できないと。

なにより若いときに友だちができないというのはつらいもの。
「友だちがいない」って、ひじょうに恥ずかしく自分がだめな人間のように感じられたものです。
いまでも、そんなこと口に出せない雰囲気って、ありませんか?

歳をとったせいかそういうことはかなりどうでもよくなってきましたが(そうすると意外に友だちができたりするようで不思議)、当時は親にもいえませんでした。

幸い引きこもりまで至りませんでしたが、単なる程度の問題だったと思います。そういう人たちのかきむしるような焦り・不安・孤独というのは、よくわかるように思います。
現にそういう状態にある人のほうがずっと深刻でしょうけど。


そんなで、ちょっとばかり長い学生生活をやってきまして、ずっとなんとかしたいと思っていろいろ勉強してきて、これならいけるかな、という感じが最近ひじょうにしているので、そんなことを書きたいと思います。

いろいろ自分で実験してみましたが、難しいようで、じつは原理は意外に簡単、あとは実践のみ、というのがどうも心の法則であるという感じがしています。


とはいえ、やっぱりいまでも落ち込みがちでして、日々上昇・下降・急降下を繰り返していますから、偉そうなことはいえません(トータルでちょっとは上昇していますように!)。

これを書くことが落ち込み克服のトレーニングに、またこれを読んでいる方にとっても克服の一助になればいいなと思います。


おお、いちおう書けた書けた。
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# by type1974 | 2005-07-24 22:44 | 落ち込み