<   2005年 08月 ( 9 )   > この月の画像一覧

空中分解!

人気blogランキングへ

うーん、きのう、きょうはいろいろあって乱高下でありました!

細かいことははしょって、遠慮なく落ち込んでしまった。
巡航高度に達したと思ったら、イキナリ空中分解という感じ。ひじょーにお恥ずかしい。みんな、見ないでおくれー

パターンになった妙なネガティヴな思考パターンがあって、これを克服できたと思っていたのだが、敵は意外に手強く、ちょっとしたきっかけでふたたび活性化してしまうのものなのだなと再確認。

そうするとそれはまるで泥沼のようで、抜け出そうと思ってもなかなか抜け出せない。というか抜け出そうと思うほどますますはまっていく。
(励ましてくれた人、くすぐったかったけどうれしかったよ。ありがとう)

と思ったら、翌日きっかけあって、即座に回復してしまった。
これはご紹介しています『生きる自信の心理学』にある「相互承認」のワークを人とすることのできる機会があって、そこで「ツボ」を押してもらったためです。恥ずかしながら、ほめてもらいたいツボって、あるんですね~。

落ち込みも、そこからの回復も、ひじょうに即座に起こるものだと思いました。願わくば、後者が自在にできるようになりたいものです! しかしそれは練習次第で十分可能だと手応えを得ました。

それはそうと、落ち込みも、そこから抜け出すとけっこう笑えてしまう。
そこにいるとそんな余裕がないように感じてしまいますが、それを超えてしまうと、なんと狭いことにとらわれているのかと思わされます。

空中分解ふくめ、とてもいい時間を過ごせたと思います。いろんなご縁に感謝です。
[PR]
by type1974 | 2005-08-29 00:56 | 落ち込み

台風上等

台風直撃らしく、雨風がだんだん強くなってきた!

バスの営業所に勤めているのですが、こういうイベントがあると、夜中に招集がかかったりします。もちろん今夜も夜中の一時から。とほほ・・・。バス停は倒れていないかな?

このブログをかくことを含め、やりたいこと、やらねばならぬことはたくさんあるというのに(あ、このブログもかなり書くのが楽しくなってきました)、ちょっとうらめしい。

しかし現実感覚を養うにはいい職場かも。

自分はけっこう気が弱いところがあり、とくに人を怒らせてはならない! とか、失敗してはならない! とかという思い込み(論理療法でいうイラショナル・ビリーフというやつ)があるんですが、そういうのをけっこう強く意識される場所です。とにかくあせってしまう。

これは治さねばならない、いやいや、治したいという気にさせられるんです。平和に生きていたら、「ま、あとでいいや」となっているところです。

そういうわけでがんばって、非合理な思い込みを反論・論破していこうかと。
だいじょうぶ、君ならできる!
[PR]
by type1974 | 2005-08-25 22:48 | 心理学

すごいぞ 『生きる自信の心理学』

人気blogランキングへ

 さきにご紹介した『生きる自身の心理学』(岡野守也著、PHP新書)という本について、読んでこれはすごいと思いましたが、実際に挙げられているワークの試してみて、一部だけやった段階でも、すでにかなりの効果が実感できており、いっそうすごい本だとちょっと驚いています。
 少なくとも実行すれば、けっこうきつい落ち込みからも、すぐにといっていいほど確実に回復できる感じです。

 ああ、もっとはやくこれに出会っていれば、貴重な10代20代の時間をうつうつとして無駄にせずにすんだろうに! 人生でほんとうに必要なことはとてもシンプル、ということなのでしょう。
 30代からはこれで逆襲、といきたい。その希望が出てきました。

 そういうわけで、いろいろ紹介する予定だった当初の予定を変更し、しばらくこの本について書いてみたいと思います。自分でも消化しつつ、お伝えできればということで。

 この本については、私が見た限りでの心理学的セルフヘルプの本にはなかった特長が、大まかに三つあると思います。しっかり核心を掴んでいる、という感じです。

第一に、「何が自信なのか?」ということをきわめてシンプルに明確化していることです。
 そのことは本文始めのページでごく短く説明されています。あまりに簡潔なので「ああそうなんだ」という感じで読みすごしてしまいそうですが。

 あ、それはそうと、読んだ後で奥付を見て、はじめて著者がどういう方なのかを知ったのですが、元牧師で、出版社を経て、仏教や心理学を独学で学んで、心理学の研究所を立ち上げ、いまは法政大学で教えておられるようです。異色の経歴、というやつですね。心理学プロパーで学んだ人ではないようです。
 それにしてもトランスパーソナルとは? 唯識って何だ??
[PR]
by type1974 | 2005-08-23 13:55 | 心理学

右でも左でもなく

人気blogランキングへ

 「落ち込み」のテーマとはまったく関係ないが、去る8月16日に靖国神社の軍事博物館「遊就館」に行って来た。
 べつにナショナルな心情で足を運んだのではなく、単に自衛官の友人に誘われてついていっただけで、半分博物館巡りの気分だった。あとちょっと趣味的な興味もあった。

 あの九段の地には独特な雰囲気がある。皇居に隣接し、またすぐ裏に朝鮮総聯の本部らしき建物があって、多数の目つきの鋭い警察官がうろうろしていた。いろんな意味で「濃い」場所だと感じさせられた。

 和洋折衷のふしぎな雰囲気を持つ昭和初期の建築に、最新の「平成館」が併設されていて、そこがこぎれいだが無味無臭な感じの入り口となっている。平日だがお盆とあって来訪者がとても多い。意外にも老若男女、子供連れ、カップル、いろんな雰囲気の人が訪れている。また独りで訪れて展示に見入っている寂しげな老人が多いのが印象的だった。

 入ってまず眼に飛び込むのが、展示の目玉、『零戦』の実機だ。イメージしていたより実物は大きく力強く感じる。その空力的な洗練を究めたフォルムは端的に美しいと感じさせられる。
 ちなみに展示は後期の「五二型」という改良型だが、赫々たる性能を発揮し空を制覇した初期型とは対照的に、満足な性能向上を遂げられず、発達を重ねる米英機に敵することができないまま、多くが特攻機に用いられたという、悲しい歴史の“証人”だ。NHKの特集番組『欠陥機・零戦』を見てご存知の方も多いと思う。

 展示はもっぱらさきの戦争以前の日本近代史を軍事的に回顧する内容に終始している。
 まず明治維新以来の歴史を、列強の脅威への対抗、そしてそのための必然的なアジアへの進出、という文脈で紹介したパネル展示をくぐり抜ける。そのひとつひとつを見ていくと、自分が知らない事はとても多いのだと思わされる。ぼくらが学んだ学校の日本史がだいたいすっとばしている部分だ。
 公平にいって、そこには戦争そのものを批判的に見るという視点、そして自他に多くの災厄をもたらしたという反省の視点が欠けている。そのようにいろいろ批判すべきところは多いに違いないが、しかし展示が主張する「我が国の物語」には、正直心情的に感じさせられるものがあった。あくまで心情的に、だが。

 特別展示は「日露戦争」だった。全然意識していなかったが、今年は日露戦争百周年に当たるのだ。その胸のすくような勝利(実際には数々の苦闘があったという)には、遠慮のない賞賛が送られている。威勢のいい記録映画のナレーション。紹介されている軍人たちの顔が凛々しく見えてくる。
 むろんこうした戦争観は一面的であり、そういう意味でいえば独善的なものには違いない。ぼくらは戦後民主主義的ないしマルクス主義的な歴史観を教わってなんとなく自分のものにしているので、こうした愛国史観をクールに批判的に(それも考えてみれば一面的なものの見方であることには変わりない)見るように条件付けられている。それはそれで必要な反省の視点だ。
 しかし、同時代の物品の数々を見て、少なくとも当時の国民感情がこの戦争に「本気」であったこと、そして戦勝を実にすなおに誇ったことがうかがえた。それはすぐに優越感-傲慢に結びつくような危険な心情でもあったわけだが。展示は、その感情を自分たちのものとして共感的に理解しようとつとめている、ということは言えるだろう。だから見ているぼくらの心情のある部分を揺さぶるのだと思う。

 そこから先、銃弾の穴のあいた軍服、実際に使用されていた武器、家族に宛てた兵士の最後の手紙、歴代の天皇の思い出の品々、特攻隊の遺品、等々の展示が続く。みんな興味津々といった感じで眺めている。涙を流しているらしい中年女性もいた。茶髪の兄さんも多い。老いも若きもごく普通の人たちに見える。

 最後に大きい吹き抜けの部屋に出るのだが、そこにはさきの大戦で使用された兵器の実物と模型が展示されている。なかでもひときわ目を引くのが、多数が特攻に用いられた艦爆『彗星』と人間魚雷『回天』、そして特攻兵器『桜花』の実物だ。
 そして南方の島々から帰ってきた遺品がショーケースに並べられている。そのなかに穴の開いた錆びたヘルメットがあったりする。これをかぶっていた兵士は確実に死んだだろう。

 遊就館の展示は、近代の歴史を誇らしい国民の物語として主張するという、その目的にそって効果的に演出していると思ったが、しかし最後はやはりここに至ってしまうのだ。
 立派な若者たちの、文字通り命をかけた出撃。心情的には想像しがたいけれども、特攻とその死がある種崇高に感じられるのは確かだ。しかし事実は、そのほとんどが有効な戦果を挙げることができなかった。
 『桜花』の寸づまりで一見ユーモラスな外観が悲しく見える。米軍はこの必死の兵器に「BAKA」というコードネームをつけたという。

 特攻に代表される、歴史を回顧する今の目からはほとんど無意味に思われる無数の死。
 「右」の象徴・靖国も、それらの死を称揚し賛美し祀り上げてはいるが、自分たちに直接つながる者たちの死として、意味づけ消化することができてはいないのだと思われた。

 あの戦争、さらにはそれにつながる日本の近代を、罪悪と汚辱にまみれた歴史だと断罪する、いわゆる左の進歩主義史観と、遊就館の熱い「物語」に代表される右の愛国史観、そのどちらもが自分の正義を主張して他方を虚偽だと非難しあっているのが現状のようだ。その狭間、理性と心情、自己非難と傲慢の間に、ぼくら国民の心は取り残されているように見える。

 しかし必要なのは、近代の歴史と戦争を、あたかも他人の悪事であるかのように非難することではないはずだ。それを声高に喜々としてやっている人たちは、自分が何のために過去を非難しているのか言えるのだろうか。 「悪事」を暴露し非難する自分が「いい人」になりたいからではないか。
 また自己愛的・無批判に歴史を賛美することでももちろんない。それはぼくらの国民的な心情を揺さぶるけれども、複数の視点に配慮する理性の批判には到底耐えられないものだ。

 そうではなく、少なくとも日本近代の歴史がああでなかったら、いま私たちの生きている日本社会は間違いなくこういうかたちでは存在していないし、さきの悲惨な戦争がなかったら、ぼくらひとりひとりが日本人としてこうして生まれ生きていることはありえなかった、という単純な事実から出発しなければならないのではないだろうか。
 あの戦争がなければ私はここにいないのだ。
 それは論証以前の事実のはずだ。つまりどう捉えるにせよ、好むと好まざるとに関わらず、あの時代の歴史と戦争は、ぼくらが個人として集団としてかく存在することの、準備であり条件だったのだ。

 そこには当然ながら光もあれば影もある。そのひとつひとつを、より高い視点から、「私と私たちの物語」として捉え直すこと、つまり自分のアイデンティティとして心に取り戻すことこそが、歴史を学ぶということの意義だと思う。ぼくらの学んできた唯物主義的「モノだけ」のフラットな歴史観は、いかにそこから遠かったことだろう。

 出口からすぐのところに靖国神社の裏口があり、そこに意味ありげに黒塗りのベンツが停まっていた。高位と見える神主さんが来客を見送っているところだ。印象的な四角い顔の来客、あ、あれは、いま政界を騒がしている亀井さんではないか。間違いない。
 どんな表情をしているのか見てやろうと思ったが、後席の窓は真っ黒で何も見えず、黒塗りベンツは高速で走り去っていった。
[PR]
by type1974 | 2005-08-21 20:52 | 戦争

眠い!

人気blogランキングへ

やっとで時間ができて更新しようと思ったが、何を書いたらいいのか疲れアタマで思い浮かばない! とりあえず寝よう!
[PR]
by type1974 | 2005-08-20 23:10

これは効きました! 体験記

 そういうわけでいくつかの本を読んで実習して、積年の落ち込み癖をかなり克服できたという実感があるのですが、それはもちろん私が特別だからでもなんでもなく(実行の努力だけはしたが)、これらの本の著者の方々が、そのための有効な方法・理論を長年の学びと実践によって培い、噛み砕いて私たちに伝えてくれているおかげなわけで、考えてみればありがたいことだと、最近ひじょうに感じるようになりました。

 せっかく縁あって出会ったのだから、ぜひ体得・吸収しなければと思わされます。

 さて、いくつかある中でとりわけ私にとって決定的というか、きわめつきだと思われたのは、『生きる自身の心理学』(PHP新書)という、タイトルもそのまんまの本で、書店の棚で気軽に手にとって、買った後で読んでビックリという感じでした。

 新書ですから薄くて読みやすいのですが、そのなかに落ち込み克服・自信回復に必要十分な方法が、これ以上ないという具合に簡潔にまとめられ、エッセンスが詰め込まれているという印象の、見た目には似つかわしくないすごい本でした。

 晦渋な理論の偉そうな本とか、スタイルはかっこよさげだけどどうも浅薄、というような本にはいろいろ出会いましたが、こういう読みやすく実用に徹していながら奥行きが深いという本には始めて出会いました。詳しくは後に譲りますが、それができるのは著者が「何が落ち込ませている原因なのか」というその核心をしっかり掴んでおられるからだと思います。
 
 まだ出会ってそれほど経っておらず、紹介されているワークに全部手をつけて習得しているわけではないので本当はなんともいえないのですが、これは手応えアリ! という感じがすごくしていますので、自分でも実習をすすめながらご紹介できればと思います。

 いい本が見つけられてラッキー。しかし現在書店のPHP新書の棚にはこれは並んでいないようです。やる気あるのか、PHP?
[PR]
by type1974 | 2005-08-18 12:36 | 心理学

しきり直し

 ここのところ、落ち込むことはあるのだけど、わりとすぐに思った通り回復できて、問題ではなくなってしまっている。そういう気持ちが持続しなくなっていて、逆に毎日わりと楽しい。
もちろんまだまだで、いろいろ課題はあるのだけれども。

 しかしこういうブログを立ち上げてみて、落ち込みということが実感的にあまりわからなくなってきている、というのはちょっと困りものだ。

 これほど変わるというのは、当時からすると驚きであるはずなんだけど、日常何となくやっていけていると、これがあたりまえじゃん、みたいな気持ちになってしまう。
いかんいかん! 当時のことを思い出せ。それが君の大きな原動力のはずだ。

 あのころを思い返すと、なぜか夜の場面になってしまう。ようやっと学校と家を往復している感じだったが、人間関係は家族以外にほぼないし、授業はじつに砂をかむような感じがしたし、辛いというのともちょっと違って、何か現実感が希薄だった。オウム事件で世の中が騒いでいるのが妙に印象的だった。

 あと大学ってみんな楽しそうにサークルとかいろいろやってるから(後で聞いてみると、多くはそんなに楽んでいないことがわかってちょっと驚きだった)、そういう中に一人で居るというのはなかなかきびしいものがあった。こんな自分はダメなのだ、将来やっていけない、なんてぐるぐる考えていたような気がする。時間はいくらでもあったはずなのに、ほとんど具体的なことが思い出せない。

 だから学生の頃、何より知りたかったのは、どう自分の心を扱ったらいいのかということ。 そしてその方法がしっかりあることが、最近になってようやくわかったのがとてもうれしい。
 いま学生の頃の自分がいたら、そんなぐじゅぐじゅ落ち込んでないで、こういう方法があるんだからしっかりせい! っていってやりたい。いや、それじゃ落ち込んでいた自分は聞かなかっただろうか。

 専門の科目に興味がわかず、関係のない臨床心理の授業なんかによく出ていたけれども、満員御礼だったのがすこし驚きだった。心理学でも、他の社会心理なんかはガラガラだったのに。やっぱり同じような動機を抱えた人が多かったのだろうか。
 しかし学問的な内容は、自分の落ち込みに理論的な裏付けをあてはめるだけのようで、実際の改善にはまったく役に立たなかった。問題に説明が与えられて、それで安心するというところはあったけれども。

 そういうわけで落ち込み改善のためいろいろな本を読んだが、逆に落ち込んでしまうような情報が多かった。

 心理学の本でいえばつぎのようなもの。あなたの性格の問題は幼少期のトラウマにある、両親のまちがった育て方にある、生まれつきの遺伝のせいだ、環境の刺激から来るストレス反応だ、脳内物質の分泌の異常だ、いや、そもそも人間は無意識の深いところにどうしようもない暗いものを抱えているんだ、と。ようするに「あなたの性格はどうにもなりません」「変えるのは非常に困難だ(ということは事実上ムリ)」というようなのが、たぶん今でも多いのではないか? まるで、人間は心理的に健康なのがむしろおかしい、みたいな気になってくるというものだ。

 またちょっと軽い思想的な本でいうと、「落ち込んでいるまま、マイナスをかかえたままでいいんだ。それが人間の真実だ。みんなそれぞれ違っていいんだ、それが個性だ」というようなもの。落ち込みが個性? 本気で言っているのか? そう書いているあなたは本当に落ち込んだことがあるのか。
 性格は変わりっこない、あなたは自分の心をどうすることもできない、流されるまま、ただ終わりなき日常をまったりと生きろ、なんて言っていたのは誰だったか。
 いまこうして考えてみると、そういう言説が、語っている人の狭い専門分野の知識と、個人的なニヒルな人間観から出た、たんなる「結局こういうことにすぎないんだ」という読み込みであることがわかる。
 だいたいそうした思想的な「読み込み」は、心理学的な理論も方法も踏まえていない。人の内面に決定的に疎い、ということだと思う。

 大切なことは、卒業後に数冊の本から学んだ。人間の心はいろいろ複雑だけれども、われわれが自分の心を扱うということにおいては、つまり心の取説、マニュアルとしての方法は、ひじょうにシンプルといっていいらしい。

 たくさん読んでどれが正しいんだかわからない、というふうになるよりは、この一冊、と決めて腰を据えた方がよいようで、今もトレーニングを実行中。そのことをお伝えできればと思う。
[PR]
by type1974 | 2005-08-13 20:41

あ、ぜんぜん違うこと書いちゃった。

久々に映画を見てきた。「亡国のイージス」。いや~、映画ってホントにいいですね、という古いのは置いておいて、ちょっといろいろ感じるところのある映画でした。
まずミリタリー系の好きな人にはたまらない映像の数々! 国家機密のイージス艦の内部が見れるし(でもあれは全部セットなのだとか)、ミサイル発射の緊張感もとってもイイ。艦内生活の細部もリアルで、気合いの入った映画でした!
ただストーリーとか人物描写には、どうも、というかひじょうにすっきりしないものが。やっぱり映画っていうのはテーマとメッセージを語るものだと思うんです。
なにより「日本とは何か」「国を護るとはどういうことか」という問題意識がひじょうに鋭く描かれていながら、それに対する作り手なりの思い・メッセージというのは、ほぼ何も語られていなかった。
だから決起した海自の幹部(士官、とは言わないのですね)の心情がほとんど伝わってこない。なぜ立ち上がったのか、「この国は一回滅びてやり直さなきゃならないんだ」くらいの、ニヒルな厭世観でしかなかったようです。
彼ら幹部は、最新兵器に囲まれていながら、手が震えて拳銃一つ撃てなかったりする。朝鮮民族系の某国(って、二つしかないじゃん)のテロリストの口車に乗って、自国の僚艦を撃沈してしまう。
そうして、寺尾聰演ずる中心人物の副長は、信念と憂国の志がある風のカッコイイところを見せながら、途中で人情にほだされてコロッと「反省するいい人」になってしまう。いったい前半の気合いはどこへ行ってしまったのか? だから急に物語全体の緊張感とリアリティが弛緩してしまう。そういう背骨のないリーダーの役を、風采の上がらない彼はよく表現していたと言うべきだろうか。
いろんな場面でそうなのだけれども、そういう「この国とは何か」というテーマが、結局「いろいろあるけどやっぱり家族が大切なんだよ」「難しいことはいいからとにかく生きろ」的な家族-個人レベルの感情のお話しにすり替わってしまっている。それはヒューマンで涙は誘うけれども、話の焦点がちょっと違うでしょ、という感じにぼかされてしまっている印象。
では、その中心テーマをどう語るべきだったのだろう。うーん、それは難しいぞ。それにいろいろいってみたけど、今の日本で商業ベースに乗せて、かつそのことも語る映画なんて、無理な話だ。しかし娯楽スペクタクルとしても、話の必然性がどんどん軽く「うそくさく」なってしまっているのはいかんともしがたい。
エンディングクレジットを見るとどうも防衛庁・自衛隊の全面協力らしい。話題とPRになりゃなんでもいいのか? それとも皮肉な自己否定をしているつもりなのか?
ようするに「この国が好きなんだよ」って思いがその回答だと思うんですが、それを語るのってむずかしいんですね。この国では、いろんな意味で。
なんか見ていて、国民意識的に、落ち込んできちゃいました。
[PR]
by type1974 | 2005-08-12 03:11 | うつ

まだまだ

きょうは朝から朝まで詰めて残業で昼過ぎまで仕事をしてきたが、さて、あしたは朝から翌日の夕方までだ。エライ職場に異動になったものだ。
しかも仮眠はよくて三時間というところだから、明けて家に戻っても爆睡してしまう。

かなりきついぞ。時間がない。やりたいこと、やらねばならないことがたくさんあるというのに、まったく時間が足りない。
こんなことを書いているヒマもないのではないか? いや、まあいいじゃないか、ちょっとはガス抜きも必要さ。

君の気持ちはわかるぞ。たしかにけっこうキツイ状況だ。
しかし考えみよう。キツイ、とひじょうに一般化しているけれども、いったい何がキツイのだろう。

時間だ。それがキツイのは客観的に事実に近い。

しかしまったくゼロなのだろうか? いや、こうして書いていることからしても、ちょっとはある。しかも工夫して作ればまだできる甘さがあるんじゃないか。あるな、うん、あるある。

しかも時間があるからといって、君はそれをきわめて有効に利用することができているというのか。これまでの経験からいっても、時間があるとかえって甘えてどうでもよく過ごしてしまうんじゃないか。そうやってどれだけの時間をむだにしてきたんだろうか。

それに、やりたいこと、やらねばならないことというが、時間がないというか足りないからといって、できなくなってしまうようなことなのだろうか。それにはけっこうウソ・ごまかし・言い訳が入っているんじゃないか。

そうではなく、きつければきついほど、かえって思いは凝縮して強くなり、行動においても切実さがでてくるということがあるのではないか。というか、それが本物じゃないだろうか。

大きく見て、自分は死に確実に近づいている。どうしたって言いつくろうことはできない事実だ。死をどうとらえるにしても、それがこの自分の死であることは確実のようだ。

三十ということは、実質的にはおおまかに半分すぎてしまったという計算だ。しかもこれからは老いに至る半分だ。
つまり常識的にいえば人生の限界効用はこれから逓減の一方だ。
それは人間のいのちというものをひじょうに一面的に捉えた、内面的な深みを欠いた見方だけれども、それでも人生の半分の真実をあらわしているような気がする。

だからこれからはどうでもいい時間を過ごしているわけにはいかない。
そう思うのなら、中・長期的に、より生きられるように、自分を高めて、世に働きかけていけるようになるのが本当だろう。
それができないのならなおさら、文句をいっているいわれはないぞ。

いずれにしても稼がなきゃならないわけだ。じゃあぶつぶついっていないでがんばろう。
キツイのは時間だけで、あとは君もいったように職場は牧場状態だ。

注意すべきは緊急事態だけだ。おれに対応できるだろうか。
いやいや、できる。君ならできる。これまでだって、できないと思っていたことが、ある時点で意外にかんたんにできたということがたくさんあったではないか。

それに、「できる」と思うことに根拠が必要だろうか。思うだけなら自由自在、というのは事実じゃないだろうか。そう思い切れていないだけで。だいじょうぶ、できる、楽勝さ。

いずれにしても、こうやっていろんな縁で健康に生かされているというのは、考えてみればありがたいことだ。
多少のことで不満を言っているのは、無意味だし恥ずかしいことだ。
[PR]
by type1974 | 2005-08-01 00:48