カテゴリ:落ち込み( 7 )

小心翼々

やっとで暇を見つけてこうして書くことができるようになりました。
公営企業なのでひじょうに甘いところも多いのですが、それでもやはり配置転換というのは若干キツイものがあります。
じつに細かーい決まり事が多く、それをアタマに詰め込んで明日に備えねばなりません。

そういうわけで、ここのところあせったり落ち込んだりという体験を波のようにくり返しています。
まあ、これまでの学びの成果がようやく顔を出したようで、回復も早いのでだいじょうぶなのですが。

しかし、現に落ち込んだりテンパってるときには、そんな余裕は吹っ飛んでますね。心配事がアタマの中で増幅する悪循環、もうダメなんじゃないかなどという破滅的な思考、ありありとリアルに感じられます。
ここのところ心理的にけっこう余裕だったので、ひさしぶりにそうした経験をしました。

時間が経って、自分を励ませるようになると、そういうネガティブな心理的経験がまるで幻想のように思われるのですが。まさに自分の心が魔法にでもかかったように、そういう心配に満ちた主観的世界がこの世の真実であるように見えてきてしまいます。

しかしこういうちょっと厳しい状況になってみると、自分が自分の心を適切にコントロールし陶冶していくということを、いかに怠っていたのかに痛く気づかされます。

そのための広く深い方法をこれまで長く学んで来たはずなのに、それをアタマでわかったつもりになって実践を(まったくではないが)おろそかにしてきたツケを、こういうところで痛感させられるというのは、それほど悪いことではないのかもしれません。

それにしても、こういうちょっと雰囲気のギスギスした男所帯に放り込まれると、自分にいかに小心なところがあるか、どうしても眼についてしまします。「小心翼々」という言葉がとてもぴったりです。

こういうところではかなり性格に問題がある人でも、自分のやっていることに確信を持って疑わない人が強い。いやなヤツなのだが、なぜか一目置かれているというのがあって、人間の集まりではそういうことがあるのだなと思わされます。

そういうふうになりたくはないが、しかしやっぱり男と生まれたからには強くありたい。そういう欲求があるからこそ、気弱なところを嫌うということになるのでしょう。

でも長年自分のスタイルになっているある種の気弱さというのは、なかなか抜きがたいものがあるのでしょう。強さと優しさは両立することを期待しつつ、がんばりたいと思わされてしまいます。

まあ、ということは自分を「性格のいい」「やさしい」側に置いて、いやなやつをあっちに見て語っているということですが、そういうことを言い出したらキリがない。
いずれ主観から自由になれるわけではないので、とりあえず自分のちょっと自己愛的な主観を自覚しつつ、しかしそれに対して優しくしてあげたほうがいいのだと思います。

親しい他人に接するように、見ているこの自分が見る対象の自分に対し、やさしく、勇気づけるように接することがつねにできればいいのですが。心理的な自己訓練というのは、まずそこから始まるのではないでしょうか。

それはそうと、こうして書いていると自分のことばかりになると言うのは、おそらく性格の基本的な傾向性である”内向-外向”ということからいえば、まさに顕著な内向性ということになるのでしょう。
例の『完全自殺マニュアル』の歪んだ色眼鏡で見れば、今の世間にうまく乗れない、「イケてない」性格特徴ということになるわけですね。まあ、確かにそういうところもあるが、これはこれで悪くもない。

なにより一人でいてほとんど寂しさを感じないし、集中的な作業に没頭できる。まわりがどう言おうとあまり気にならず適当に合わせていることもできるし、できればずっと本でも読んで生活していたいから金もかからない。

ひたすら外向的であることが、それほどいいことでもないように思われます。そういう人は世間の流れに乗ることができているように見えて、ただただ状況に流されるだけということが多いように見えます。

しかしこれではやはり、バランスが悪い。自覚が内か外かどちらだけ、というのは悪い意味での二分法です。健全で成熟した人格には、どちらの特性も必要になるのだと思います。
そういうわけで、「能動的注意を、外に向けること」が自分のいまの課題です。

ダメなところを「まったくどうしようもない」などと自分の中でぐちゃぐちゃやっていても、多分心理的問題が解決されることはないのだと思われます。

世界の中の、いろいろなしがらみ、言い換えればつながりの中で、生きて生かされている存在として、自分以外の誰か、未来の何かに注意を向けることは、人間の意識の本質にちがいありません。

いろいろで、それに気づかなかったこと、それを怠ってきてしまったことに、否応なく気づかされているこのごろです。そういう意味で、環境の変化というのは、悪いことではけっしてないような気がしてきました。これを乗り越えれば、今よりさらに生きられるようになるに違いないと。

そういう気がほんとうにしてくるのだから、書くということは不思議なものです。

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by type1974 | 2005-10-28 19:31 | 落ち込み

夜中にちょっと逃避

ずいぶん夜遅くなってしまったが、明日からまた長い泊まり仕事、ちょっとそこから逃避、という気分でこうして書いてみる。

日記を書くなどというのは自己愛的でムダな行為とこれまで思ってきたけれども、あえて文字化することで、自分の中のもやもやした思いがはっきり形をとってまとまりがついてくるらしく、書いてきて、言葉というのは心にとって単なる表現だけではないのだなと思われた。

しかも文字化した言葉それ自体が自分に対するメッセージとして効いてくるという面も大きいらしい。

今年四月からバス営業所に配属になり、三〇にもなって新人同様の扱いを受ける中で(それはそれで悪くもないようだ)収納関係の仕事にようやくなれてきたと思ったら、諸事情があって今度は配車担当となってしまった。

いろいろ一から覚えなければならない。
細かい約束事ことが多い上に、ダイヤに迫られた運行関係にも指示を出さなければならない。
これからちょっと緊張を強いられながら仕事を覚えていくことになる。

とにかくむさくるしい男ばかりの環境。
優しさの比較的足りない職場だが、だいたい世間の職場とはそんなものだろう。

年下の先輩やおっかない係長のもとで、ちょっとばかり自己満足をへこまされながら、時間とともに新しい仕事にも慣れていくのだろうが、やはりちょっと、というかかなり不安もある。いや、心配と言い換えよう。セルフ・トークとは、単なる表現ではないのだ。

でもいろいろ変化があってこそ人生は充実するという。安定を求める気持ちも相当大きいのだが、そこを揺るがされるのは悪いことではないはずだ。

自分を信頼する、ということを勉強してきたつもりだが、いざそういう場面に突入してみると、信頼しかねる部分も多々あったりする。

現状、かなり気が小さい上に、他人に強く言えなかったり、焦ったり緊張が強かったり、細かいケアレス・ミスも多く、仕事を通じて身につけていくことはとても多い。

しかしとりあえず、自己非難などムダなことをして自分を落ち込ませることはやめたい。

時間を取って、心の給油をすること。
元気の回復についてはこれまで学んできたことで十分だ。
落ち着いて仕事ができればと思うけど、戸惑う思いもとりあえずありということ。

いずれに腐っているヒマはない。
一人でいるといろいろ考えがぐるぐる巡ってあまり建設的でなかったりする。

そんなときに仲間がいて、励ましてくれることはとても嬉しい。
長くつきあいの狭い一人暮らしをしてきたけど、やはりそういう関係が大切なのだと気づかされる。

人間は一人で生きられるものではない。
習慣になったライフスタイルというのは根強いけれども、徐々に変われればと思う。



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by type1974 | 2005-10-17 02:43 | 落ち込み

30代からが勝負さ。強がりではないつもり

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うーん、いまちょっと気分がつまらない感じになっています。
落ち込んでいる、まではいかないのだけど、あんまりやる気が起きないような感じだ。

「ああ、こんなごろごろしていちゃいかん。おれはいったいこうやって昼から何をやってるんだ」とか、あの人この人との関係、どう思われてるんだろうか、くだらない人間だと思われてるんじゃないかとか、ぐるぐるアタマを巡っている。全部思い込みにすぎないんじゃないかとも思うけど、一度そういう思いの循環が始まると、けっこうそこにはまりこんでしまう。

こうやって今、暗いほうばっかりを選んで目を向けてるわけだ。これがいわゆる悪循環。そう、わざわざ選んで悪い方ばっかりを見てる。これはつまらない。時間がもったいない! このぐちゃぐちゃした気分から抜け出したいぞ。考えを他に振り向けること、やってみよう。こうして書くのも、自分の思いを逆転するいい方法なんじゃないか、と。

テレビでこの前の選挙の話を延々とやっている。投票所のわきを通りかかったにもかかわらずめんどくさくて投票しなかった自分には何も言えん。

しかしとにかく岡田さんという人がなんか気の毒だったのは確かだ。自分はぜったい当日の開票速報を聞くあの席のあの立場にはいたくないと思った。味方が包囲殲滅される渦中で為すすべを知らない司令官の立場。軍人は孤独でつらいものだ。あ、違うか。とにかく、惨めなんだろうなあ、と、何か妙に共感。

残念ながら彼・岡田さんは笑顔がないし目つきが悪い。顔の個々の作りはいいのに、なぜかひどく暗くて感じが悪い印象なのだ。それに比べて小泉さんは、ちょっとよくわからない固さがあるけど、少なくとも悪人じゃない感じだし、けっこう笑顔がすっきりしてる。どうでもいいのだけど、小泉さんには堂々と靖国神社参拝していただきたい。
いろいろ要因があるのでしょうか、民主党、やっぱり看板が冴えないというのは決定的だったんじゃないかな。役者勝負だったということで。選挙って、みんなかなり印象と感情に流されてるでしょ。投票してない自分が言うのも何だが…。

どうでもいいけど、顔って大切だよなあと思わされます。だって、そのパッと見でその人がどういう人なのか、感じ取っちゃってるじゃないですか。ていうか、感じ取ってますよね?みんな。 「あ、やなやつ」とか「すてき!」とか。
それには顔の作りのよしあしっていうことと、それを超えて全体の醸し出す印象(ちょっと怪しいとオーラ)っていうのが別にあると思うんです。で、じつは後者のほうがぼくらにとってけっこう大きいんじゃないかと。もちろん両方よければ人生楽勝なのだが。

正直わたくしは顔の個々の作りには自信がございません。目が二重で大きい人とか見るとちょっとね。いやあ我ながらバカらしいなとは思いつつ。でも世の中の「いい顔」の価値観てどう考えてもそうなってるでしょう? やっぱりその中で生きてると、その物差しで自分を評価してしまうわけだ。ごめんねご先祖様!遠くモンゴルから朝鮮半島をわたって日本まできてくれた一重まぶたなのに。

でもまあ、そういういわゆる顔の作りがいい悪い、カッコイイとか美人とかいうのも、よくよく考えてみれば35歳とか40歳までだ。年取ってしまえばそういう価値はどんどん解消してしまうんではないか? まして50歳になったら、顔がいいとかなんか問題じゃなくなってるんではないか?

だってイヤじゃないですか、40になっていい顔でスカして着るスーツとか気にしているナルシスな感じのオジサンとか、50になってエステに通ってお肌のことばっかり気にしてるオバサンとか。いや、単にそういう人になりたくないってことですよ。これは単なる自分の趣味です。

老化はある意味非情だ。誰の上にも公平に降りかかってくる。そうすると、人生の後半にあっては、むしろ若い頃美人だとかイケてるとか、そうやってちやほやされてたのがかなり急激に取っ払われるだけに、恵まれていい思いをしていた人には辛いのではないかと。メンタルに。

どんどん老いて「醜く」なっていく自分。お、これは確かにちょっと怖い。手元に持ってる株券の額面がどんどん暴落していくような感じだろう。楳図かずおのマンガのテーマに通じるものがある。人間も猫とかみたいに毛で覆われてたら、あんまり老化を気にする必要がなかったかも、とか想像してみる。でもそうしたら毛並みとかで人を判断するようになるのかも。

そうすると、いまそういう「いいもの」を持っていないのは逆に人生の後半に有利なのではないか。だって、失うモンがないから怖くないしね。それに年取ってからの顔ってのは、感じがいいかどうか、迫力を秘めているか、深みを感じさせるか、笑顔がいいかどうかが勝負なのでは? 何というか、その人の内面がにじみ出ているというか。ここでも、内面と外面は対応しているということなのではないかと。で、それはもう作りがどうとかとはあまり関係ない。素材を元に何を作り上げるか。どういういい絵を描くか。再生紙にいい絵を書く人がいたっていいじゃない。

いま自分は30歳なので、うむ、これからが勝負なのだと、けっして強がりではないつもりで思う。そのためにはあまり落ち込んだり暗いことに視点を集中しているヒマはないはずだが? いま自分はどういう顔をしているだろうか?

 お、ちょっと気分回復。とにかくこうして部屋にずっといてもしょうがないのでちょっと歩いてこよう。きょうは天気がいいぞ。

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by type1974 | 2005-09-13 13:48 | 落ち込み

空中分解!

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うーん、きのう、きょうはいろいろあって乱高下でありました!

細かいことははしょって、遠慮なく落ち込んでしまった。
巡航高度に達したと思ったら、イキナリ空中分解という感じ。ひじょーにお恥ずかしい。みんな、見ないでおくれー

パターンになった妙なネガティヴな思考パターンがあって、これを克服できたと思っていたのだが、敵は意外に手強く、ちょっとしたきっかけでふたたび活性化してしまうのものなのだなと再確認。

そうするとそれはまるで泥沼のようで、抜け出そうと思ってもなかなか抜け出せない。というか抜け出そうと思うほどますますはまっていく。
(励ましてくれた人、くすぐったかったけどうれしかったよ。ありがとう)

と思ったら、翌日きっかけあって、即座に回復してしまった。
これはご紹介しています『生きる自信の心理学』にある「相互承認」のワークを人とすることのできる機会があって、そこで「ツボ」を押してもらったためです。恥ずかしながら、ほめてもらいたいツボって、あるんですね~。

落ち込みも、そこからの回復も、ひじょうに即座に起こるものだと思いました。願わくば、後者が自在にできるようになりたいものです! しかしそれは練習次第で十分可能だと手応えを得ました。

それはそうと、落ち込みも、そこから抜け出すとけっこう笑えてしまう。
そこにいるとそんな余裕がないように感じてしまいますが、それを超えてしまうと、なんと狭いことにとらわれているのかと思わされます。

空中分解ふくめ、とてもいい時間を過ごせたと思います。いろんなご縁に感謝です。
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by type1974 | 2005-08-29 00:56 | 落ち込み

ああ時間は過ぎてゆく

…うう、またやってしまった。

この前に「心はけっこう思いどおりになるぜ!」なんていい感じで書いてしまいましたが。

書いたとおり心は習慣の動物。
しかも自分のはかなり怠惰な真夏の猫のような奴らしく、ちょっと教えたくらいでは「お手」すらできないらしい。いや、そもそも猫にはムリなのか。

せっかくの休日であれもやろうこれもやろうと思っていたにもかかわらず、「明日は休日だ」と思って、ついついどうでもいい本を読んだりごろごろしたり、で、起きたら午後の三時。

老人ばかりの午後の陽の入る銭湯に行って、「おれはこれまで、こうやっていったいどれだけの時間を無駄にしてきたのだろう」と非生産的な自問自答をする。どうでもいいがお湯が熱すぎるぞ。

通いごとをしており、電車で新宿へ。山手線内で先に書いたような「思考の修正」を行う。
「たしかにバカをやっちまったが、しかしお前は24時間・365日バカばっかりやっているというのか?」「そうやって自己非難してるといったい何かいいことがあるというのか?」

小田急に乗る頃にようやく気分は回復、「ま、いいか」ってかんじで。
で、きょうもいい学びをすることができました。貴重なご縁に感謝。

ま、結果オーライだからいいのかな。さ、いい夢でも見ますか。
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by type1974 | 2005-07-30 00:55 | 落ち込み

独り言もあなどれぬ

やっとで家に帰れた!

自分は某公営バスの営業所に勤めているのですが、今回の勤務は32時間詰めでした。ううっ、ありえねえ。

その間、バスの事故あり、苦情に突進してきたお客さんとの長くステキな対話あり、まだ配属されて日も浅く、いやー、つらかった。やってかれるかなあ。

男ばっかりで、言葉遣いの荒いアクの強いおじさんは多いし、まったく優しさのない職場だぜ。しかもほとんど仕事をしない先輩がいるぞ。経営危機だというのにどういうことだ!?

なによりキツイのは私的な時間が削られてしまうこと。こうやって歳だけとるのはやだよ~


・・・おおっと、お聞き苦しい愚痴を、ごめんなさい!

適当に思ったことを書こうと思ったら、落ち込みを乗り越えるための日記が、「かわいそうなわたしの自己憐憫日記」になってしまうところだった!

「心は習慣の動物」という言葉を何かの本で読みましたが、しかり、習慣というのは恐ろしいものだ。

しかも書いているうちに、なんだかそのとおりに、よけいつらく惨めな気持ちになってきてしまいました。


ここが気の引き締めどころだ。
しかし、ほんとうにそんなにひどい話なのだろうか? 考え直してみよう。


長時間勤務、そんなにキツイか? いやいや、やってみると大したことないぞ。それにしっかり時間外手当が出ているではないか。

そんなひどい仕事か? そうでもないんじゃないか。民間の成果主義むきだしの職場からすれば、ある意味牧場のような感じなのじゃないだろうか。
まして、かのアウシュビッツでの強制労働なんかに比べれば、まったくの天国にちがいないぞ。

しかも学生の頃、「こんな自分が社会に出て仕事なんかやってくのはムリだ」なんて思ってたのからすると、まさに望外の幸せってやつじゃないか。

大切な私的な時間、なって言っとるが、その大切な休みの日に君は何をやっているか。午後まで寝て、ほとんどどうでもいい人に言えないような趣味にだらだらと時間を費やして、寝るとき「あ、きょう一日誰とも話してないや」なんてガク然とするのがオチじゃないか。

定時に起きて、健康的に食べて、給料もらいながら社会参加の体験学習ができるっていうのは、それにくらべればずいぶんマシじゃないか!


うーむ、同じことがらでも、考え方というか、言葉の表現のしかたしだいで、ずいぶんというかまるで違ってとらえられるものだな。

そして、そうやって実際に思ってみると、なんだか自己憐憫なんかしているのは恥ずかしいと思えてきた。しっかりやろうという気になってきました。


こうやって、日々落ち込むような思考に陥っていることに気づいたら、「ほんとうにそうなのか? もっとマシな捉え方があるのではないか?」と自問自答し、修正するようにしています。

そういう落ち込むような思考は自動化し、半ば無意識的にやっているので、当初は自分がそういう思考をしていること自体になかなか気づきにくかったりしていましたが、慣れてくると敵というか目標もはっきりしてきて、最近ではなかなか撃墜率が向上しているのを感じます。


こういうのは、単なる言葉のあや、ないしありがちなポジティブ・シンキング的なもので、控えめに見ても自分に対する慰め、悪くいえばお手軽なごまかしではないか、現実はそんなに甘くないよ、という反論がありそうなところです。

それは半面事実をとらえているようだし、自分もこれまでそのように思って、いろんなハウ・ツー的な心理学の本でこういうことを読んでも、眉に唾し斜めに構えて「そんなうまいハナシがあるわきゃねえ」とか思って(じゃあ何で読んでいたのか?)実行していませんでした。

しかしながら、ある本を読んだのをきっかけに、そういう自分に語りかける言葉の入れ替え、つまりセルフトークの改善をやってみようと思い立ちまして、実行してみると、事実どうも顕著に効くようで、我ながらびっくりです。

どっかにあるいい話、ではなくて、このわが心で実際にそのようにはっきりと思ってみる、しかも「意味ないんじゃないか」などとぶつぶついわずに、「これは効果のある方法なのだ」ととりあえず思ってみる。そしてそれを習慣化する、と。

自分を元気にするセルフトーク、効きますよ。お読みの方、実験してみてはいかがでしょうか。なかなかおもしろいです。


そういうわけで、意外にも心っていうのはけっこう思ったとおりになるんだな、と思うこのごろです。問題はその「思う」内容のほうだったのだ。

最近では「おれは宇宙だぜ」なんてセルフトークをしています。実際に独り言もしています。ぜったいに人に聞かれちゃならねえ。

そんなふうに考え、実際その効果を体験してみると、独り言っていうのはバカにはできません。っていうかかなり決定的なのではないか。

そんな感じでひきつづき独り言をやっていこう。おつき合いいただければ幸いです。
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by type1974 | 2005-07-28 20:39 | 落ち込み

さあ書くぞ! 何を!?

はじめてみました、ブログ。
さて、何を書きましょう??


それにしても素晴らしい道具! 自由に、好きに書き込んだら、それを人がネット的に見てくれるという、ちょっと前には考えられない世界。
ま、問題は見てもらえるかどうか、ですが。

もちろん書く動機は人に見てもらいたいから。だけど書きたい内容はけっこう自分のことばっかりだったりで、イキナリ自己矛盾。
だけどだいたいみんなそんな感じだからいいのかな。

まずは独り言でいこうか。
独り言って、けっこう人に聞いてもらいたくてやったり、しません?
そして、それがメッセージになったらいいのですが!


とはいえ、うーむ、何を書いたらいいのかな。
何でも書いていいよ、何でも自由だよ、っていわれましても。

そうそう、何かで「自由、自由、ひどい言葉ね」っていう歌詞がありましたが、そんな感じ。

ちょっとずれますが、若い人、よくいわれませんでしたか?
「人に迷惑かけなきゃ、なんでもきみの好きに、自由にしたらいいんだよ」って、大人に。
で、「いや、それがわからないんだって」っていったら、「それは自分で考えなさい」なんてね。
で、脱力、と。
いや、もちろんそう言う大人たちは多くは善意だったんだろうけれども。

そんな感じで、与えられた自由のあまりの自由さ・枠の無さに、独りよがりの迷走とか、何を書いてるのかわからないなどと空中分解におちいらぬよう、こころせねば。


ちょっと私ごと。
いま三十歳で、かなりずーっと、落ち込んで元気がでなくてつまらない感じでやってきまして、いまでもまだまだだなという感じです。
ちょっと辛い時期もありました。
かつては自信がないことだけには自信がありました。

で、そういう状態ですと、なかなか人とつながれない。本当は心から人とつながりたいんだけれども、できないと。

なにより若いときに友だちができないというのはつらいもの。
「友だちがいない」って、ひじょうに恥ずかしく自分がだめな人間のように感じられたものです。
いまでも、そんなこと口に出せない雰囲気って、ありませんか?

歳をとったせいかそういうことはかなりどうでもよくなってきましたが(そうすると意外に友だちができたりするようで不思議)、当時は親にもいえませんでした。

幸い引きこもりまで至りませんでしたが、単なる程度の問題だったと思います。そういう人たちのかきむしるような焦り・不安・孤独というのは、よくわかるように思います。
現にそういう状態にある人のほうがずっと深刻でしょうけど。


そんなで、ちょっとばかり長い学生生活をやってきまして、ずっとなんとかしたいと思っていろいろ勉強してきて、これならいけるかな、という感じが最近ひじょうにしているので、そんなことを書きたいと思います。

いろいろ自分で実験してみましたが、難しいようで、じつは原理は意外に簡単、あとは実践のみ、というのがどうも心の法則であるという感じがしています。


とはいえ、やっぱりいまでも落ち込みがちでして、日々上昇・下降・急降下を繰り返していますから、偉そうなことはいえません(トータルでちょっとは上昇していますように!)。

これを書くことが落ち込み克服のトレーニングに、またこれを読んでいる方にとっても克服の一助になればいいなと思います。


おお、いちおう書けた書けた。
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by type1974 | 2005-07-24 22:44 | 落ち込み