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眠い!

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やっとで時間ができて更新しようと思ったが、何を書いたらいいのか疲れアタマで思い浮かばない! とりあえず寝よう!
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by type1974 | 2005-08-20 23:10

しきり直し

 ここのところ、落ち込むことはあるのだけど、わりとすぐに思った通り回復できて、問題ではなくなってしまっている。そういう気持ちが持続しなくなっていて、逆に毎日わりと楽しい。
もちろんまだまだで、いろいろ課題はあるのだけれども。

 しかしこういうブログを立ち上げてみて、落ち込みということが実感的にあまりわからなくなってきている、というのはちょっと困りものだ。

 これほど変わるというのは、当時からすると驚きであるはずなんだけど、日常何となくやっていけていると、これがあたりまえじゃん、みたいな気持ちになってしまう。
いかんいかん! 当時のことを思い出せ。それが君の大きな原動力のはずだ。

 あのころを思い返すと、なぜか夜の場面になってしまう。ようやっと学校と家を往復している感じだったが、人間関係は家族以外にほぼないし、授業はじつに砂をかむような感じがしたし、辛いというのともちょっと違って、何か現実感が希薄だった。オウム事件で世の中が騒いでいるのが妙に印象的だった。

 あと大学ってみんな楽しそうにサークルとかいろいろやってるから(後で聞いてみると、多くはそんなに楽んでいないことがわかってちょっと驚きだった)、そういう中に一人で居るというのはなかなかきびしいものがあった。こんな自分はダメなのだ、将来やっていけない、なんてぐるぐる考えていたような気がする。時間はいくらでもあったはずなのに、ほとんど具体的なことが思い出せない。

 だから学生の頃、何より知りたかったのは、どう自分の心を扱ったらいいのかということ。 そしてその方法がしっかりあることが、最近になってようやくわかったのがとてもうれしい。
 いま学生の頃の自分がいたら、そんなぐじゅぐじゅ落ち込んでないで、こういう方法があるんだからしっかりせい! っていってやりたい。いや、それじゃ落ち込んでいた自分は聞かなかっただろうか。

 専門の科目に興味がわかず、関係のない臨床心理の授業なんかによく出ていたけれども、満員御礼だったのがすこし驚きだった。心理学でも、他の社会心理なんかはガラガラだったのに。やっぱり同じような動機を抱えた人が多かったのだろうか。
 しかし学問的な内容は、自分の落ち込みに理論的な裏付けをあてはめるだけのようで、実際の改善にはまったく役に立たなかった。問題に説明が与えられて、それで安心するというところはあったけれども。

 そういうわけで落ち込み改善のためいろいろな本を読んだが、逆に落ち込んでしまうような情報が多かった。

 心理学の本でいえばつぎのようなもの。あなたの性格の問題は幼少期のトラウマにある、両親のまちがった育て方にある、生まれつきの遺伝のせいだ、環境の刺激から来るストレス反応だ、脳内物質の分泌の異常だ、いや、そもそも人間は無意識の深いところにどうしようもない暗いものを抱えているんだ、と。ようするに「あなたの性格はどうにもなりません」「変えるのは非常に困難だ(ということは事実上ムリ)」というようなのが、たぶん今でも多いのではないか? まるで、人間は心理的に健康なのがむしろおかしい、みたいな気になってくるというものだ。

 またちょっと軽い思想的な本でいうと、「落ち込んでいるまま、マイナスをかかえたままでいいんだ。それが人間の真実だ。みんなそれぞれ違っていいんだ、それが個性だ」というようなもの。落ち込みが個性? 本気で言っているのか? そう書いているあなたは本当に落ち込んだことがあるのか。
 性格は変わりっこない、あなたは自分の心をどうすることもできない、流されるまま、ただ終わりなき日常をまったりと生きろ、なんて言っていたのは誰だったか。
 いまこうして考えてみると、そういう言説が、語っている人の狭い専門分野の知識と、個人的なニヒルな人間観から出た、たんなる「結局こういうことにすぎないんだ」という読み込みであることがわかる。
 だいたいそうした思想的な「読み込み」は、心理学的な理論も方法も踏まえていない。人の内面に決定的に疎い、ということだと思う。

 大切なことは、卒業後に数冊の本から学んだ。人間の心はいろいろ複雑だけれども、われわれが自分の心を扱うということにおいては、つまり心の取説、マニュアルとしての方法は、ひじょうにシンプルといっていいらしい。

 たくさん読んでどれが正しいんだかわからない、というふうになるよりは、この一冊、と決めて腰を据えた方がよいようで、今もトレーニングを実行中。そのことをお伝えできればと思う。
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by type1974 | 2005-08-13 20:41

まだまだ

きょうは朝から朝まで詰めて残業で昼過ぎまで仕事をしてきたが、さて、あしたは朝から翌日の夕方までだ。エライ職場に異動になったものだ。
しかも仮眠はよくて三時間というところだから、明けて家に戻っても爆睡してしまう。

かなりきついぞ。時間がない。やりたいこと、やらねばならないことがたくさんあるというのに、まったく時間が足りない。
こんなことを書いているヒマもないのではないか? いや、まあいいじゃないか、ちょっとはガス抜きも必要さ。

君の気持ちはわかるぞ。たしかにけっこうキツイ状況だ。
しかし考えみよう。キツイ、とひじょうに一般化しているけれども、いったい何がキツイのだろう。

時間だ。それがキツイのは客観的に事実に近い。

しかしまったくゼロなのだろうか? いや、こうして書いていることからしても、ちょっとはある。しかも工夫して作ればまだできる甘さがあるんじゃないか。あるな、うん、あるある。

しかも時間があるからといって、君はそれをきわめて有効に利用することができているというのか。これまでの経験からいっても、時間があるとかえって甘えてどうでもよく過ごしてしまうんじゃないか。そうやってどれだけの時間をむだにしてきたんだろうか。

それに、やりたいこと、やらねばならないことというが、時間がないというか足りないからといって、できなくなってしまうようなことなのだろうか。それにはけっこうウソ・ごまかし・言い訳が入っているんじゃないか。

そうではなく、きつければきついほど、かえって思いは凝縮して強くなり、行動においても切実さがでてくるということがあるのではないか。というか、それが本物じゃないだろうか。

大きく見て、自分は死に確実に近づいている。どうしたって言いつくろうことはできない事実だ。死をどうとらえるにしても、それがこの自分の死であることは確実のようだ。

三十ということは、実質的にはおおまかに半分すぎてしまったという計算だ。しかもこれからは老いに至る半分だ。
つまり常識的にいえば人生の限界効用はこれから逓減の一方だ。
それは人間のいのちというものをひじょうに一面的に捉えた、内面的な深みを欠いた見方だけれども、それでも人生の半分の真実をあらわしているような気がする。

だからこれからはどうでもいい時間を過ごしているわけにはいかない。
そう思うのなら、中・長期的に、より生きられるように、自分を高めて、世に働きかけていけるようになるのが本当だろう。
それができないのならなおさら、文句をいっているいわれはないぞ。

いずれにしても稼がなきゃならないわけだ。じゃあぶつぶついっていないでがんばろう。
キツイのは時間だけで、あとは君もいったように職場は牧場状態だ。

注意すべきは緊急事態だけだ。おれに対応できるだろうか。
いやいや、できる。君ならできる。これまでだって、できないと思っていたことが、ある時点で意外にかんたんにできたということがたくさんあったではないか。

それに、「できる」と思うことに根拠が必要だろうか。思うだけなら自由自在、というのは事実じゃないだろうか。そう思い切れていないだけで。だいじょうぶ、できる、楽勝さ。

いずれにしても、こうやっていろんな縁で健康に生かされているというのは、考えてみればありがたいことだ。
多少のことで不満を言っているのは、無意味だし恥ずかしいことだ。
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by type1974 | 2005-08-01 00:48