2005年 10月 29日 ( 1 )

ポジティブに生きたい

配車第一日目、今日は土曜なので営業車が少なく、年下の先輩にしっかりと教えてもらえました。生意気だと思っていたが、根はしっかりとした、現代っ子的にいいヤツだ。昭和56年生まれだもんなあ…。

仕事に関し、“楽勝”と心から思いたい。しかしフツーに生きてきた凡夫としては、そういうふうに心底思い信じるためには、やはり経験の裏付けが必要なようです。

でないと、「ソリャ無理だ」という思いが同時に湧いてきてしまう。
自分に語りかける言葉とはようするに自己暗示であり、自分の心に強力に作用する呪文であると、実際にそう思ってみても、それに相反する思いが湧いてきてなかなかそう思い切ることができないんです。そして事実そんなわけないというような行動になってしまう。

そういう現実における経験が、これからの課題であります。
といって、それはよく「リクツじゃない、行動だ」という、気合いと根性の精神主義ともまた違うと思っています。
つまり行動するための前提として、やはり言葉による思いというのは、言葉によって生きる人間である以上、やはり決定的に重要なはずです。あらゆる人間の行動は言葉によって裏付けられているに違いありません。

しかし、たとえば坐禅とかをしてみて、自分の心を落ち着けよう、言葉を消し去ろうとしても、常時多数の思いがほぼ同時に走っているというのは、すぐに自覚できることです。
まさに「心猿意馬」という譬えのとおり、無自覚的な無数の思念のなかに生きていて、それに左右されながら生きているというのが、どうもぼくら人間の心のあり方であるようです。

これは何も深淵げな学者さんの心理学の本などに依らずとも、体験的に誰もがすぐ実感できるという意味で人間の普遍的な真実と言ってもいいと思います。

で、たしかに自分に対して語りかけるセルフトーク、つまり内なる言葉は、あたかも呪文のように心に作用するけれども、それはそうした同時並行した多数の思いがまさにそのように作用し実現してしまっているということにほかなりません。

だから、ちょっとばかりプラスな思いを抱いてみたとしても、「そんな言葉、なんの効果もありゃしない」とか「思っただけじゃどうにもならない」、「どうせだめなんだ」と思っていたら、心は事実そのとおりになってしまう。どうも、意識できるこの心というのは、ひじょうに単純というか、ある意味バカ正直なところがあるように思います。

そういう常時心に走っているセルフトークというのは、心の深いところ、つまり無意識というか深層記憶から湧いてくるもので、これまで重ねてきた経験、抱いてきた思いの履歴によって規定されているもののようです。

だから、これまで弱気に、引っ込みががちに生きてきたとすれば、そういう思いがいつも心の底の方から湧いてくるという状態になっているのはあたりまえのことです。

そういうわけで、ちょっとばかり「俺にはできる!」「楽勝だ!」と思ってみても、これまでの経験とか積み重ねに裏付けられていないために、なかなかそう思いきることができない。気づけばすぐに自分をダメにするようなどうでもいい言葉が巡っているということになっています。

つまり、言葉と経験というかイメージの循環ということが、ここで起こっているように思います。言葉を裏付ける経験と、経験を動機づける言葉の、自覚できないほど深く常時走っている相互作用。
なので、そういう意味で経験は重要なのだと思います。

「きっとできる!」と、心底思うことができるようになりたいものです。


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by type1974 | 2005-10-29 20:49 | 心理学