まだまだ

きょうは朝から朝まで詰めて残業で昼過ぎまで仕事をしてきたが、さて、あしたは朝から翌日の夕方までだ。エライ職場に異動になったものだ。
しかも仮眠はよくて三時間というところだから、明けて家に戻っても爆睡してしまう。

かなりきついぞ。時間がない。やりたいこと、やらねばならないことがたくさんあるというのに、まったく時間が足りない。
こんなことを書いているヒマもないのではないか? いや、まあいいじゃないか、ちょっとはガス抜きも必要さ。

君の気持ちはわかるぞ。たしかにけっこうキツイ状況だ。
しかし考えみよう。キツイ、とひじょうに一般化しているけれども、いったい何がキツイのだろう。

時間だ。それがキツイのは客観的に事実に近い。

しかしまったくゼロなのだろうか? いや、こうして書いていることからしても、ちょっとはある。しかも工夫して作ればまだできる甘さがあるんじゃないか。あるな、うん、あるある。

しかも時間があるからといって、君はそれをきわめて有効に利用することができているというのか。これまでの経験からいっても、時間があるとかえって甘えてどうでもよく過ごしてしまうんじゃないか。そうやってどれだけの時間をむだにしてきたんだろうか。

それに、やりたいこと、やらねばならないことというが、時間がないというか足りないからといって、できなくなってしまうようなことなのだろうか。それにはけっこうウソ・ごまかし・言い訳が入っているんじゃないか。

そうではなく、きつければきついほど、かえって思いは凝縮して強くなり、行動においても切実さがでてくるということがあるのではないか。というか、それが本物じゃないだろうか。

大きく見て、自分は死に確実に近づいている。どうしたって言いつくろうことはできない事実だ。死をどうとらえるにしても、それがこの自分の死であることは確実のようだ。

三十ということは、実質的にはおおまかに半分すぎてしまったという計算だ。しかもこれからは老いに至る半分だ。
つまり常識的にいえば人生の限界効用はこれから逓減の一方だ。
それは人間のいのちというものをひじょうに一面的に捉えた、内面的な深みを欠いた見方だけれども、それでも人生の半分の真実をあらわしているような気がする。

だからこれからはどうでもいい時間を過ごしているわけにはいかない。
そう思うのなら、中・長期的に、より生きられるように、自分を高めて、世に働きかけていけるようになるのが本当だろう。
それができないのならなおさら、文句をいっているいわれはないぞ。

いずれにしても稼がなきゃならないわけだ。じゃあぶつぶついっていないでがんばろう。
キツイのは時間だけで、あとは君もいったように職場は牧場状態だ。

注意すべきは緊急事態だけだ。おれに対応できるだろうか。
いやいや、できる。君ならできる。これまでだって、できないと思っていたことが、ある時点で意外にかんたんにできたということがたくさんあったではないか。

それに、「できる」と思うことに根拠が必要だろうか。思うだけなら自由自在、というのは事実じゃないだろうか。そう思い切れていないだけで。だいじょうぶ、できる、楽勝さ。

いずれにしても、こうやっていろんな縁で健康に生かされているというのは、考えてみればありがたいことだ。
多少のことで不満を言っているのは、無意味だし恥ずかしいことだ。
[PR]
by type1974 | 2005-08-01 00:48
<< あ、ぜんぜん違うこと書いちゃった。 ああ時間は過ぎてゆく >>