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「あとはもう“あのこと”をやってしまうしかないんだ」 さて、世の中に絶望し(またはしたふりをし)、生きることなんてくだらない(ただし、たぶん他人が)と宣言してみせた著者は、ではなぜさっそく『マニュアル』の方法を実行して、早々にこの世に見切りをつけなかったのだろうか? なぜ著者はこんな本を書いていながら、自分自身は自殺しないで生きているのか? これはこの本を読んだ多くの冷静な人たちが抱く素朴な疑問だ。 著者は本の最後に「生きたけりゃ勝手に生きればいいし、死にたければ勝手に死ねばいい」と述べている。そのことによって、自殺をするかしないかは単なる自己決定の問題だと、その追及を巧妙にかわしているようである。 しかし、それは同時に自身が述べた本書のメッセージからの、明らかな逃げにほかならない。 そうしてみると、著者が本書冒頭と後書きでわざわざ繰り返し、自分自身の寒々しい執筆の意図をはなから存在しないものにしようとした、いまひとつの理由が見えてくる。 ようするに、そこまで自殺を奨励している書き手がなぜ死なないでいるのかという、容易に予想できる追及から逃げをうつための予防線を張っているのである。 こういう点については本書の語りは周到である。 「最初から営業のためで、本気で書いたものじゃなかったんだから、そんなに目くじらを立てられても困るよ。死にたいヤツが勝手に死んだだけだろう?」、といったところだろうか。 しかし、「生きる」方向へ向かうための根拠をすべてくだらない幻想だと破棄し毒づくことで、ある種の自己表現をするのが著者の本書執筆の意図だったのは、先に見たようにはっきりしている。 さらに、いろいろ逃げ道を作っていようと(その「自殺しちゃえばいい」という言葉にはたいてい「~ならば」という限定・条件がついている)、ようするに本書が、苦痛だけのまったく無意味な人生という悪夢から目覚めるためには自殺こそが正しくポジティブなのだというメッセージを発し、読者に自殺を強く教唆していることは、読み手の大多数が賛同するだろう。 文章の意図がどこにあるのかという判定は、本来読者の側の読みと解釈に任されるものである。 殺人の容疑者がいくら「殺すつもりはなかった」と口先で弁明して逃げてみたところで、陪審員の過半数が一致して宣告するなら、彼は殺人犯なのである。 もちろんこれはあくまで喩えにすぎない。 そういうふうに、生きるも死ぬも自己責任の問題だから「勝手にしてくれ」と、あくまでも自分自身にふりかかる問いを回避しようとしたところで、著者は結局どこまでも自身の語った言葉に拘束されざるをえない。 ではあなたは、そんな暴力的に無意味な世界での苦痛ばかりの生を、なぜあえて「勝手に」選択して生きているのか? すべてを無意味だとし自殺を正当化する信念は、自殺を仄めかす冷たく突き刺さるような言葉は、あなた自身に限っては適用されないのか? この著者はそれに答えることができるだろうか? 間違いなくできないはずだ。 本書冒頭のように、言葉による生の理由付けなどはすべて幻想で意味も根拠もないと宣言してみせたからには、その上にどんな言葉を積み重ねようとも、嘘に嘘を塗りたくる結果になり果ててしまう。 つまり、“生きること”について何かを語った途端に、彼が『完全自殺』で表現しようとした意図のすべてが裏切られることになるのである。 したがって、生きるか死ぬかという選択肢は、本書に関する限り著者には最初から存在しない。自分の語った言葉に真実があるというのなら、著者は自殺に到る一本道を歩むほかにないはずなのだ。 それとも自分の生きている主観的な世界に限っては別のルールがあって、何らかの生きる理由を自分なりに感じ取るのは個人の勝手だ、とでも言うのだろうか。 そう、そのような自己欺瞞的な二重基準を著者は生きているのかもしれない。あとで見るようにその可能性は十分にありうる。 もちろん、それも本書のメッセージらしきものの全否定に他ならない。 この本を批判しその意図を無効化しようとする立場からは、そのどちらであっても大いに結構、ということになろう。 いずれにせよこの本の著者は、「なぜお前は生きているのか」という疑問に言葉でもって反駁し弁明するという退路を、最初から自分で断ってしまっている。 だから、自身の著書の視点からすれば、著者には書いたとおりに自殺に向かって突き進むか、生きて嘘を騙ったことを暴露し続けるか、そのどちらかの道を選ぶしかできないのである。 「理由などない、生きるのは本能だからだ」「言葉以前に、死ぬのは誰でも怖いからだ」などというようなもっともらしい逃げも、もちろん無効である。 そんな“本能”も“恐怖”も軽々と乗り越えるごく簡単な手段があることと、それを実行した下は12歳の少年と少女にはじまる幾多のケースが存在することを示したのが、まさに自身の書いた『完全自殺マニュアル』にほかならないのだから。 その著者が「消えかかりそうな、ほそーい境界線」の、「息苦しくて生き苦しい」こちら側に、それでもまだ踏みとどまっているのはどうしたことだろう? 「飛び降り自殺は痛くない。痛みも不安も恐怖もない。それどころかむしろ気持ちがいい」 「首吊り以上に安楽で確実で、そして手軽に自殺できる手段はない」 「身ぶるいするほど恐ろしい日常生活」に対して、自殺するのはこんなふうにごく簡単なこと、生きるよりはるかに簡単なことなのではなかったのか? そう語った著者自身が、いまだ生存してこの世を選んでいることこそ、本書のメッセージのすべてが嘘であったことを、雄弁に証拠立てている。 彼はそれに反論する言葉を何一つ持ち得ない。 みんなのプロフィールSP by type1974 | 2005-10-02 18:50 | 自殺
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